瞬間最大稚拙

うだつの上がらない人のための就職活動日誌

不定型欲望

自分の本当の欲望がよく分からない。

他の人はどうやって自分の欲の形を定めているのか、気になっている。

 

夢想をすることがある。

 

たとえば自分が死ぬとき。

自分が死ぬならとりあえず100歳くらいまで生きて、鳥葬や宇宙葬で骨を処理してもらおう。樹木葬なんてのも良いと思う。

しめっぽい葬式はいやだから、お坊さんは呼ばずにお別れ会という形にするのもいいかもしれない。

死ぬ前に自分の弔い動画を作って、自分が死んだら流してみようか。

いっそ生前葬をしてしまって、自分の葬式をプロデュースしてしまえば。

 

そこではた、と思考が止まる。

 

「これは本当にやりたいことなのかしら」

 

 

ポンポンと思いつくアイデアのひとつひとつが、本当に自分のやりたいことなのか。

そう問われると、そんなことはない気がする。

 

それならば普通に弔われたいのか。

たくさんの花に囲まれ、お坊さんにお経をあげてもらい、お別れの言葉をもらい、火にかけられ、骨を拾われ、喪服を着たみんなから涙を浮かべられながら見送ってもらいたいのか。

いや別に、そういう風に死にたいわけじゃない。

 

自分の思考が自分の「やりたい」と一致している訳でもない。

でもいわゆる普通もいまいちピンと来ていない。

 

だから、自分の欲望の形がいまいち見えてこない。

 

 

自分の死に方を例に挙げたが、こういうことは自分の死に方だけではなく、色々な事柄についても起こる。

 

たとえば

どういう風に働きたいのか、

どこに住みたいのか、

結婚したいのか、

子どもはほしいのか、

自分の人生で何を成し遂げたいのか、

などなど。

 

 

人生経験が増えれば、自分の欲望の形も分かるようになるのだろうか、と思う。

 

例えばいろんな人と出会う中で尊敬する人や楽しいことをやっている人を見つけ、「私もこんなふうになりたい」「こんなことをやりたい」と思えるようになればいいのか。

(思ったところで憧れだけで終わってしまったらどうにもならないのではないか)

 

あるいは自分の経験の中から「こういう風には生きたくない」あるいは「こういう風に生きたい」と模索しながら人生を歩くのか。

(模索しているうちに人生が終わってしまいそうだ)

 

また、自ら積極的に選択をせず、目の前に起こったことを淡々と受け入れこなしていくことで一生を終えるのか。

(そんな人生に自分は意義を見いだせるのか)

 

こんなにも自由で平和なのに、なぜ選ばないのか。