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夢をかきむしる

決めるのが苦手です

子宮がたり

「子宮感覚」ということばがあるらしい。

 

もっと複雑な定義があったり深みがあったりするのかも知れないけれど、

すごくざっくり言うと「女性クリエイターが女性ならではの感性で性や恋愛、生死をテーマにした秀逸な作品を作ったときに使われる褒めことば」めたいな感じ。

 

小説家でいうと、瀬戸内寂聴さんは「子宮作家」と呼ばれているらしい。

蛇にピアス」の金原ひとみさん、椎名林檎さんも子宮感覚がすごそうな気がする。

あと小川洋子さんの「妊娠カレンダー」は子宮感覚と理性が調和したみごとな小説だったと思う。

 

 

子宮感覚。面白いことばだ。

 

子宮なんて、そもそもただの臓器にすぎない。ただの身体の一部だ。でも、ほかの臓器ではぜったいに置きかえられないパワーを感じる。

 

なぜだろう。

 

それは子宮という臓器が

「生や性という創作において(人生において?)大きなテーマをつかさどる」にもかかわらず、

「日常では語られることが少ない」臓器だからだろう。

 

 

ある日少女に生理がおこる原因であり、男性の精子が注がれる穴であり、女性が子を孕む場所である、子宮。

 

すごい。ちょっと考えただけで深遠なテーマだらけだ。

この臓器だけで小説が何本も書ける。とんでもない臓器だ。

失礼かもしれないが、たとえ男性が精巣の感覚を研ぎ澄ましたとしても、こんなテーマは出てこないんじゃないかと思う。

 

このように、子宮は女性クリエイターにとってすでに身体に内蔵されている優秀なアイデアボックスだ。

子宮を持つ女性クリエイターは自らの子宮感覚を研ぎ澄まさなければ損だろう。

 

 

ここで、創作という視点からいったん離れて、日常の視点から子宮について考えてみよう。

すくなくとも私は、日常生活において、自分の子宮を意識することはほぼない。

 

だってそもそも、自分からは見えない。男性器ならいざ知らず、見えないものをわざわざ意識したりしない。

普段から胃腸のことや肝臓のことを意識しないのといっしょだ。

つまり、ちょっと驚くくらい子宮感覚ゼロで生きている。

 

だいたい日常のなかで子宮感覚を研ぎ澄ませていたら、いつも性だの命だの愛だののことを考えなければいけないはめになる。

そんな毎日は、ちょっといやだ。そんな深遠なテーマをかかえて生きていたら、日々の仕事も家事も手につかなくなってしまいそうだ。

上手に生きるために、なるべくなら子宮のことは考えたくない。

 

 

こう考えるのは、私だけじゃなく他の女性も同じだと思う。

だから私たちは普段、本来女性はみんな持っている子宮感覚に、内在している深いテーマにふたをして、おいしいご飯を食べたりバラエティ番組を観たりしている。

むしゃあ。ごはんおいしい。テレビおもしろい。子宮なんてしらない。

 

このふたは、理性と言いかえてもいいのかもしれない。

子宮から発せられる本能的な狂気を、理性という名のふたでおしとどめている。

 

 

だが、ふと思う。

地球上の全女性の子宮感覚のふたがぽろりとはずれてしまったら、どうなるんだろう。

日々心身ともに安定した生活をするために、必死にふたをしてきた感覚が暴れはじめたら。

 

考えただけでおそろしい。あらゆるところで喜悲劇がおこって、人類は滅亡しそう。どこもかしこもむせかえるような甘いにおいがする。

子宮に支配される人生。収縮と弛緩をくりかえす子宮。排卵。ホルモンバランス。PMS。生理不順。血。愛と性と錯覚と愛液と緊急避妊薬!?

 

ああ、ふたをしなきゃ。あけちゃだめだよ。